中国ではこのような諺があります。「文無第一、武無第二」。
「文」は客観的な判断が難しい、ひとそれぞれ好き嫌いがあるから、ある人から見ればこの人は天下一品で、違う人から見れば何でもない。
「武」は、戦えば勝敗分かるから、最後に生き残った人は間違いなく天下第一だが、逆に途中で倒された人たち、だれが第二なの?誰も分からなくなる。
三国志演義の武将ランキングについて、トーナメントやってないから、勝手にランキングつけると、不服の人もきっと多いでしょう。
中国民間では、次のランキングがあります。
一呂二趙三典韋(呂布、趙雲、典韋),
四關五馬六張飛(關羽、馬超、張飛),
黄許孫太兩夏侯(黄忠、許楮、孫策、太史慈、夏侯惇、夏侯淵),
二張徐龐甘周魏(張遼、張郃、徐晃、龐德、甘寧、周泰、魏延),
神槍張繡與文顏(張繡、文丑、顏良),
雖勇無奈命太悲。
三國二十四名將,
打末鄧艾與姜維。
一説では、本来は民間は一呂二馬(馬超)三典韋が定説でしたが、三国志愛好家の毛沢東は呂布の次に強いのは趙雲との評価があって、一呂二趙三典韋はいまの定説となりました。
さて、皆さん納得しますか?
個人的には、黄忠はもっとランキングを上げても良いかと思います。黄忠は関羽と引き分けた時、すでに白髪蒼々の爺さん、一方関羽は人生の絶好調な年。もし同じ年なら、きっと関羽は黄忠に負けるでしょう。
以上、今日の話題でした。いかがですか?