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<三国志雑談> 諸葛亮の北伐

 

 暇です。S330は戦争なしで暇、征服アカウントはついて行けないから暇、(まだ一部隊もlv40に到達していないのに、もう虎牢関突破された)。引き続き三国志雑談でもしましょうか。今日は諸葛亮の北伐について見てみましょう。

 

 劉備亡き後、諸葛亮は魏に対し六回(三国志演義は6回ですが、実際は5回)も北伐断行、いずれ成功せず、諸葛亮自身も最後の北伐五丈原で寿命が尽きた。かの大天才にしても人力が天命に逆らえず、後世の人々はこの結末を嘆いた。

 

 さて、諸葛亮の北伐の全貌をより理解するため、地図を見るのが一番、以下中華サイトhttps://kknews.cc/zh-cn/history/b6692ej.htmlからベースとなる地図を拝借し、詳しく見ていきましょう。

 

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■北伐の全貌

 漢中がベースキャンプになっています。そこから長安まで五つの街道があって、右側の四本は山道で少々狭い、一番左側の祈山は少し平坦というイメージです。

 

 第1回北伐。劉備亡き後、対呉作戦失敗から立ち直り、南蛮平定後初めての北伐。最も成功に近い北伐と言えます。

 

 そこで魏延からの提案があって、自分が一部の兵を率いて、子午道(一番右の道)から長安に進撃すれば、魏の長安守備軍はきっと無防備で混乱するから、奇襲攻撃で長安を奪うことができる。結局諸葛亮はその提案を却下、自ら大軍を率いて祈山から出撃した。(その理由はのちほど分析します)

 

 初戦は順調で、瞬く間に魏の天水、安定、南安三郡を降伏させた。魏の援軍は迅速に反応し、街亭に向かってきた。諸葛亮は街亭の守備は馬謖に任せた、それは致命的な間違いでした。実戦経験ない馬謖は山頂に陣を敷き、水路断たれた蜀軍は総崩れとなった。全軍の補給路が断たされる危険があるから、西部全域からの撤退は容儀なくされ、第一次北伐失敗。

 

 第2回は陳倉に向けたが、すでに魏が事前に陳倉の守備強化されたため、攻略できず撤退した。ちなみに陳倉を守備したのは郝昭でした。大三国志でも硬い、「不動如山」はすべての弱体効果を解除できる。

 

 第3,4回は一回目と同じ路線で祈山からの出撃ですが、すでに魏の防御線が強化され、いずれ魏の持久戦によって食糧不足のため退却せざるを得なかった。

 

 第5回はもっと長安に近いところに出撃したが、時はすでに遅し、諸葛亮は五丈原で寿命尽きた。

 

■魏延の奇襲作戦

 小説を読んだ人は、恐らく多くの方はこの作戦に「もしも」と思ったことあるでしょう。実際その可能性はどれぐらいあるか見てみましょう。

 

 まず、魏延の言うように5千の騎兵で長安に向かう場合、騎兵は攻城値低く、ゲームも現実も同じ、魏軍は城で抵抗すれば、まず攻略難しいと思う。

 

 唯一の期待は完全な不意打ちで、城内の士気が一気に失い、魏軍が城を捨てて逃げること。その可能性もゼロに近いでしょう。例え主将が逃げても、部下一人二人ぐらい死守覚悟の人がいれば城は守られる。十字軍が壊滅した後も、バリアンがエルサレムでサラディンの大軍に抵抗したと同じ。ましてエルサレムは孤軍奮闘、長安は魏の救援一週間から10日で到着できるから、城内の士気崩壊は考えにくい。

 

 歩兵も攻城機具も一緒に連れていく場合、進軍速度が遅くなり、偵察される危険性が大きい。そして5千の部隊で長安を落とせると思いません。

 

 さらに兵員を増強する場合はどうでしょうか?蜀降伏時、総人口は約100万、そのうち10万の軍隊を維持することは限界と推測。半分は各要所の守備にあたるとしたら、北伐部隊はせいぜい5,6万程度。5千はすでにその1/10にあたる。さらに兵員増強すると、もう奇襲ではなくなるから、それは諸葛亮が却下した理由でしょう。

 

■北伐の戦略目標

 以前小説を読んだ時、諸葛亮はずっと長安を目指していたと思ったが、その後地図を見たらそうじゃないことが一目瞭然。諸葛亮の戦略目標は長安ではなく、西部諸郡の占領でしょうね。

 

 恐らく魏も最初は諸葛亮のプロパガンダに騙され、第一回の北伐は完全無防備の最西部がやられたが、運よく街亭で挽回しました。2回目以降はだんだん鉄壁な防御線を構築し、最後は諸葛亮も仕方なく長安を目指すしかない。これは北伐の全体像でしょう。

 

 当時天下三分と言っても、国力対比は恐らく魏6呉3蜀1でしょうか。諸葛亮の戦略はまず最西部の天水など数郡を手中に収めることによって、少しでも実力対比を有利にすること。また、西域は馬の産地、そこを押えると、蜀騎も組織可能になる。その流れはどうも大三国志にも受け継がれているようで、今度馬岱の蜀騎は強いですよ。

 

 だから街亭要所は絶対失ってはならない、街亭が手中なら、魏の援軍は西へ行けず、諸葛亮は時間かけて占領した郡を自国領にすることができます。そうすると、次に馬と食糧の補給基地が出来て、漢中と街亭両方向の出撃ができる。街亭を失えば、西域に散らばった自軍の補給が断たされ、攻略した土地も守れなくなり、撤退するしかないです。

 

 北伐の成否は補給にあります。当時の生産性と運輸条件では、漢中基地から食料輸送は極めて困難です。長安攻城が長引くと、後方の長い補給路の確保はほぼ不可能に近い、だから長安は最初から無理で、北伐の本当の目的はまず西域確保ではないでしょうか。