大三国志 無課金者の逆襲 ー waveの作戦室

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<三国志雑談> 劉禅

 

 戦争終わって、やることなく、三国志雑談でもしましょうか。

 

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 劉禅、蜀二代目皇帝、劉備の跡継ぎ。大三国志では劉備は人気武将で、劉備なしでは蜀歩と言えないほど憧れの存在ですね。まだ劉禅は出場していませんが、新しい武将は古い武将より強い傾向があるから、もしかすると劉備よりレアで強い設定かもしれません。

 

 三国志演義の中では、劉禅は暗愚な皇帝というイメージで定着していますが、よく見てみると、劉禅はそれほど頭悪い人でもないような気もしますね。

 

 まず諸葛亮との関係。

 諸葛亮が赤壁の戦いの時、劉禅はまだ赤ん坊。劉備亡き後、名義上劉禅は皇帝ですが、事実上蜀軍は諸葛亮中心に動いています。劉禅はこの状況をよく理解している。歴史上その辺よく理解できていない皇帝は有能な大臣を殺したり、自ら殺されたりの事例は数えきれない。

 当然、諸葛亮は劉備への忠義をそのまま劉禅への補佐に尽くし、だから後世の人々に敬愛されている。

 

 劉禅は自分の考えがないわけではない、ただ諸葛亮がやりたいことは阻止しようとできない。諸葛亮は北伐したいですが、劉禅はそうではない。ても表向きは百パーセント諸葛亮支持する態度でなければ蜀に混乱を招くから、劉禅なりの表現で、「丞相殿南方遠征から戻ってきたばっかりで、お疲れでしょう。ちょっと休んだほうが良いでしょう」と自分の意見を表明した。

 

 また、歴史上有名な「出師表」ですが、よく中身を読むと、あれは臣下が君主に向けて言う言葉ですか?「宮廷と丞相府とは一体であります。善を賞し悪を罰することにおいては、違いがあってはなりません」。西太后の時代なら、大臣の誰かこのような文章書いたら即座斬首でしょう。劉禅は見て見ぬふりで何事も起きなかった。心の広さが見えますね。

 

 そもそも北伐は、魏と蜀の力対比から見れば無謀な戦いで、蜀の国力を使い果たし、その後亡国の要因となった。それでも諸葛亮存命中劉禅は諸葛亮を支持した。諸葛亮との意見の分岐は表に出れば蜀の崩壊につながるから。諸葛亮亡き後、北伐は中止され、劉禅統治の下でその後蜀は29年も存続した。

 

 最後の最後まで、気が狂って大臣を殺したりしていないし、土木建設など自らの享楽で国をダメしたわけでもない、ただ国力の差でじわじわとやられていただけです。魏の軍勢が成都に攻めってくると、もはやこれ以上抵抗しても意味がなく、百姓を守るために投降を選びました。投降は勇気がいる行為です。その後どうされるか分からないから。

 

 洛陽に連れて行かれた後、司馬昭との問答で見事な演技を見せ、司馬昭に自分は無能な人と信じ込ませた。東呉の孫晧は最後に毒殺されたが、劉禅は天寿を全うする。人生の知恵も兼ね備えたではないでしょうか。

 

 三国志演義では劉禅の出る幕はそれほど多くないですが、よく見ると、それほど優れた人物じゃなくても、中+以上と見てもよろしいでしょうか。三国志演義では諸葛亮を万能な人間にするため、なぜ魏を倒すことができない理由探しに腐心していたから、劉禅を悪い君主の代表格に作り上げたが、歴史の真実はどうでしょうかね。

 

 いつかタイムスリップで蜀にも行きたいですが、エジプトのピラミッド建設を見た後でね。