悔しい!コツコツ貯めた玉符は、間違って5連を押してしまった。普段ならともかく、聖夜ガチャまだ8回残っているのに、無課金の禁じ手5連何って、泣きそう。間違いなく無料の次に半額を押したつもりですが、なぜか5連になった。これで玉がなくなった。最近システム不安定ですよね。ロッグインは何回も弾かれたし、おかしいよ、システムは、…(500文字省略)
■戦況
クリスマスの夢から醒めていないせいか、わが軍のイン率は極端に低くなった。それもそのはず、忘年会やゴルフ接待や、年末は師も走るほど忙しい季節だから、仕方あるまい。
徐州州府は敵軍に隣接され、半分程度の要塞を失った。並州も似た状況。最悪の一言で尽きる。
何か書こうとしたが、書くことなく困っています。(笑)
考えてみれば、歴史に語り継がれる戦いは、いずれ弱が強を倒し、見るものにアッと驚かされたものである。
三国志演義で言えば、官渡の戦い、赤壁の戦い、夷陵の戦い、いずれ固有観念をひっくり返したもので、だから人々は曹操、周瑜、陸遜の戦争の芸術に傾倒された。
一方、これは最善の戦いではないと、孫子兵法は言った。孫子本人は呉の軍勢を率いて、当時の大国楚の都まで攻め落としたが、何か後世に語り継がれる輝かしい戦いがあったかと言えば、ないですね。
それでも孫子兵法は兵法の最高峰にされた理由が何でしょうか。孫子兵法第四・軍形篇にこう書いてあります。
「是故勝兵先勝而後求戰、敗兵先戰而後求勝」(ゆえに勝兵はまず勝て、しかる後に戦いを求め、敗兵は先ず戦って、しかる後に勝ちを求む)―――web 漢文大系より
つまり、戦う前に、人集め具合を見て勝てるならば戦う、勝てそうになければ戦わなくて良いってことですね。
ということは、周瑜たちは戦争のこと全く知らない、蟷螂の斧で歴史の車輪を止めようとする己知らずね。僕にはわかりません。
■我が戦場
大勢に関係なく、わが戦争は続いています。今日の5連のショック以外、概ね順調。
昨日の続きで、下邳左側の敵分城破壊に着手しました。(左側○のところ)。さすがに州府(四角囲んだ彭城)に近づき、敵も無視できなくなり、有力者2,3名の豪華部隊が集まってきました。わが軍進撃の最前線、彭城南側で止められた。ここを突破するには、わが軍の大軍が集まってくるか、敵軍は州府付近で戦線崩壊かのどちらかです。
(追記:本文大半書いたのは夕方。残念ですが、上記のいずれも起きなかった。深夜12時現在、そのあたりの足場はほぼすべて失った)
無課金のわが軍の苦戦が強いられた。苦戦と言っても、1,2回壊滅したらすぐ撤退、という具合でゲリラ戦展開。また一部の部隊は州府への応援に駆け付けたため、ちょっと手薄になった。
基本的に、わが軍は一種のゲリラ戦で、目標は固定ではない。牛が食器売り場に入ったような感じで、徐州で戦いさえすれば、何かしら敵に損害を与えることができる。戦争初期段階でこの戦い方は敵陣営の崩壊に効果的だと思います。いまは少々遅い感じでした。
(以下、昨夜の戦い、過去形のストーリ(笑))
昨夜、膠着された前線に少数の兵を残して、得意の夜戦で下邳左奥に急襲!そこに敵分城二個あり。実は、一昨日秘密の裏に要塞を建て始めて、誰にも気づかれず完成。常に翌日、翌々日の戦闘を考えていろいろ布陣しています。(笑)
十二月、深夜、雪、徐州下邳、Wave軍本営
趙雲:殿、下邳左端要塞完成、敵軍はまだ察しておりません。
Wave:子龍、貴殿は5千の兵を率いて先に要塞に入り、何かあればすぐ報告ください。
趙雲:yes sir
Wave:孫堅殿、貴殿の1万攻城兵は子の刻に出発、寅の刻に攻撃開始。わが大軍はそのあと続く。
孫堅:はい
Wave:張横、程銀殿、高速騎馬隊はあとどれぐらいの体力残っているか?
張横、程銀:残りわずかです。
Wave:仕方ない、趙雲殿と一緒に要塞に入り、敵分城に届くまで待機せよ。
張横、程銀:はい
(雪がだんだん積もってきて、大軍は静かに下邳の敵分城に向かってる)
兵士:前方の池にアヒルがたくさんおる
Wave:叩き起こしてわが軍の音を消す
…
兵士:敵分城に着いた、まだ気づかれていない。
Wave:攻撃開始!
(まもなく分城は火の海に…)
という戦闘経過でした。
残り敵分城も少なく、戦線も州府に近づき、破壊工作は容易ではなくなった。
ここにきて、本来は敵の戦意喪失でわが大軍の最後の一撃の戦場になるはずですが、また攻守逆転で、現在敵の大群は州府を囲む勢いとなっています。
実際、敵軍の人数は以前よりかなり減ったが、わが軍はそれ以上に減ったからこのような結果となった。
やはりアクティブですね、このゲームは。
終わりが近づき、また星5出る機会が増えます。玉符がない、困りますね。
つづく